ワールド・ベースボール・クラシックにおける『侍ジャパン』の優勝への興奮からも冷めやらぬ雰囲気の中、ついに開幕した日本のプロ野球リーグ。スター選手が期待通りの好スタート発進したケースもあれば、予想外の苦戦を強いられているチームもあったりと、早くも様々なドラマが生まれています。
最近ではスポーツの観戦方法や楽しみ方も、旧来の通りにビール片手にスタジアムで応援したり、1xbet 注册でボーナスコードを貰って遊んでみたりと、バリエーション豊富になってきました。そんな変化の中でも変わらないのが、永遠のライバルとも言われるセリーグの阪神・巨人。両チームの対戦試合は『伝統の一戦』とも称されてきました。ここではその深い歴史を少し紐解いてみたいと思います。
日本初プロ野球球団
東京ドームを本拠地とする『巨人』こと読売ジャイアンツは、1935年に誕生しました。その前身となったのが、1934年に結成された『大日本東京野球倶楽部』で、読売新聞社が招待したアメリカのメジャーリーグ選抜の試合相手として結成されました。この時、アメリカのチームの一人として来日したのが、伝説の野球選手ベーブ・ルースでした。しかし『大日本東京野球倶楽部』という名称はわかりにくいというアメリカ側の指摘もあり、アメリカ遠征においては『トーキョージャイアンツ』という名で呼ばれることになり、そこから派生して翌年には『東京巨人軍』と名前を改めることとなりました。
大阪タイガース
時をほぼ同じくして、東京に対し、西の大阪でも球団が誕生します。当初、『大日本東京野球倶楽部』に対して『大阪野球倶楽部』と名付けられましたが、のちに『大阪タイガース』と正式に名前を変更、これが現在の阪神タイガースとなります。東京をはじめとした大阪、名古屋の三大都市圏での複数の球団による野球リーグの発足を考えていた、当時の東京巨人軍のオーナーであった正力松太郎の尽力もあり、こうして翌年には各地で誕生した5球団を加えて『日本職業野球連盟』がけっせいされることとなったのです。
伝統の一戦
こうして誕生した2球団の歩みは、そのまま日本の野球史の歩みとも重なります。90年以上にもわたる両球団の歴史の中での対戦数も数知れず、日本における関東、関西の対決意識とも相まって、その試合結果は常に人々の熱い関心を集めてきました。戦前・戦中・戦後と、日本の歴史の中でチームの名前が変更されながらも、結成当初からオーナー会社は変わらず同じであるというのも、他の球団と違っている点でもあります。
長い日本の野球史の中で様々なドラマを生み出してきてくれた読売ジャイアンツと阪神タイガース。多くの人々に愛され、いまもなお熱烈なファンを生み出し続けています。両球団の対戦成績は、今のところ、巨人が阪神を破った回数が多いと言われていますが、このライバル関係がある限り、日本の野球人気は決して衰えることはないでしょう。